お叱りを受けた姿勢の話

お叱りを受けた姿勢の話

 

昨日、ある方からお叱りを受けました。

実は今でも書くべきかどうか迷っているのですが、心の整理もかね、とりあえず書き始めることにします。

 

 

一連の流れ

前提知識

現在、ぼくらは4人チームで「CLAP(仮称)という高校生アスリートを対象とした「可能性を最大化するチームビルディングアプリ」を制作しています。

チームメンバーの役割は以下の通り。

  • ぼく(ビジネスサイド)
  • オムチャン(iOSエンジニア)
  • 虎さん(WEBエンジニア)
  • ピッピ(UI/UX)

また、ぼくらは開発手法として、リーンスタートアップというものを採用しています。

リーンスタートアップとは?

  • 必要最低限の機能実装で顧客と対話をしながら、プロダクトを完成に近づけていくこと。

【メリット】

  • 必要最低限の実装で検証を重ねることにより、効率的に開発ができる。
  • 顧客が受け入れられないものを作る可能性が減少する。

などがあげられます。

 

問題の発生

そこで1つの問題が起きました。

ぼくたちの開発計画では、少なくとも今週中に高校に訪問し、顧客(正確にはプロダクト作成段階の協力者)にお会いさせていただいた上で、フィードバックをいただく予定でした。

しかし、予定が立て込んでおり実際にお会いできるのが一週間後になってしまったとのこと。

つまり、僕たちの開発スケジュールに狂いが生じたのです。

チームメンバーのオムチャンからは「こういう時ってどうするんだろうなぁ?」と。

ぼくは戸惑いました。

今まで忠実にリーンスタートアップ的な開発手法をとっていたのに、空白の一週間はどうしたらいいのか…。

そこで、ぼくたちはお世話になっているメンターの方にアドバイスを求めることにしました。

以下の文章はぼくが実際に送った文章です。

※黒い部分は、プライバシーの関係で伏せさせていただきました。

※同じように、ビジョン、ミッション、バリューの流れも今回は無関係ですので無視してください。

問題なのは、ぼくが「お客さんに振り回される」と言っていることです。

ぼくが本当に伝えたかったことは「開発スケジュールに狂いが生じたこと」「同じような状況にほかのスタートアップが陥った時は、どのように対処しているのか一例を知りたい」ということです。

普段から口の悪いぼくにとっては、何気ない一言だったのかもしれません。

しかしこの後、ぼくはお叱りを受けることになります。

 

お叱りの言葉

※GGAというのは、ぼくらが現在在籍しているプログラミングスクールの卒業制作を発表する場のことです。

正直な話、以上のようなお叱りを受けた後、プライドが高く負けず嫌いなぼくは「別にそんな怒んなくても…。言い方間違えただけやん…。」と思ってしまいました。

そしてぼくは以下のように返信をしました。

この時は本当にそのように思っていました。

しかし、この返信をした後、結局5時間、ぼくはひたすら「大人になる」ということについて考えていました。

ぼくがその答えに行き詰まった時、ある人に「大人になる」とはどういうことか聞いてみました。

「大人になる」とは?

その人の大人の定義は3つ。

  1. 好き嫌いをはっきりさせること
  2. 間違いを選択する勇気を持つこと
  3. 一人で行動する勇気を持つこと

なるほど、深い。

確かに、人は、気がつけば周りから好かれようと行動してしまう。

周囲の顔を伺いつつ、嫌われることなく、周囲に迎合する。

確かにこれができる人は「大人になっている」のだと共感しました。

しかし、今回の「大人になる」は少し違うような気がしました。

そもそもぼくは「大人になりなさい」「人としてどうなの?」「普通は〇〇だよね」のような抽象的な言葉が好きではありません。

これらの言葉はだいたいすべて、発言者が相手に対し、自分の意図する行動をとるように促す自分本位な言葉だと思っているからです。

ですので、ぼくはいつものようにその言葉に不快感を感じました。

しかし、ぼくはここで同時に違和感も覚えました。

ぼくがメンターの意図するように行動したところで、ぼくのメンターにはなんの利益もない。

さらに、このメンターの方は、平時にもぼくに「器を大きくしなきゃね!」と抽象的なアドバイスをくれていました。

「器を大きくする」とは?

その時もぼくは考えました。

器の大きい人?

器が大きいということは、多様な人を受け入れられるということ?

ということはつまり、人の気持ちを考慮できる人?

であるならば、経験の数や幅広さ、深さが大切!

何事も経験するべきである!

ぼくの導きだした答えがあっているのかどうかはわかりませんが、とりあえず、とにかくぼくは今まで自分が経験したことのないことを経験することに決めました。

髪の毛を伸ばして結んでみたり、ウクレレをひいてみたり、LGBTsの気持ちを理解するために一人でゲイバーに通いつめてみたり、Tik Tokを撮ってみたり、筋トレを辞めてみたり、いつもと違うダイエット方法を試してみたり、パーマをかけまくってみたり、今まで会うことをしなかった元カノと会ってみたり、ツイッターで全く知らない人と会ってみたり、気が乗らないイベントに顔をだしてみたり、毎日同じものを食べてみたり、大使館に訪問してみたり…。

今までスポーツ一筋で生きてきた世間知らずのぼくにとっては、未知の世界がたくさんありました。

これらの行動で本当に器が大きくなったのでしょうか?

それはわかりません。

しかし、髪の毛を結んだ人の気持ちは髪の毛を結んだことのある人にしか考慮できないし、Tik Tokを撮ったことのないおじさんにはTik Tokを楽しむ人の気持ちはわかりません。

ですのでぼくが思うに、これは姿勢の問題なのだと思います。

器が大きいのかどうかは問題ではなく、真に重要なのは「常に器を大きくしようとする姿勢」なのだと。

お叱りの真意

ここで、先ほどのお叱りを受けた話に戻ります。

ぼくがお叱りを受けた直後、ぼくが送った内容は「リスペクトの気持ちは常にある」と断言しています。

これはこれで1つの意気込みのつもりだったのかもしれません。

しかし、これは傲慢でした

意気込みと傲慢は似て非なるものです。

当時の気持ちは確かめようがありませんが、おそらくお叱りを受けたあとのぼくは平静を装いながらも感情的になっていました。

意気込みとは、平時や自分を奮い立たせるときにするもの。

傲慢とは、おごり高ぶり、他人を見下すことです。

先ほどの返信をした当時のぼくは、メンターの指摘を素直に受け止めることを放棄し、明らかに傲慢な態度をとっていました。

今更になり、反省しています。

自分が情けない。

しかし不思議なことに、反省と同時に、メンターに対する感謝の気持ちも込み上げてきました。

ぼくが送った1通目のメッセージの「顧客に振り回される」という表現。

これを無視して、実用的なアドバイスをすることもできたはずです。

むしろそちらの方が波風を立てずに、いい人を演じられる。

しかし、メンターはそちらを選ばなかった。

あえて厳しい言葉を投げかけ、ぼくに欠けている部分を考えさせた。

そう考えると、ぼくは、ぼくに気づきを与えてくれたメンターに対し、自然と感謝の気持ちが湧き上がってきました。

 

総括

今回の件は、ぼくの姿勢の問題でした。

正直な話、顧客(正確には協力者)との接点がまだまだ少なく実感が湧かないとはいえ、軽率にあのような言葉は使うべきではありません。

しかし残念なことに、あのような言葉が出てしまうということは、事実、協力者に対するリスペクトが骨の髄まで染み渡っていないことの表れでもあります。

感情は指示をされて湧き上がるものではありません。

行動の後に感情が伴う。

それが現実です。

しかし、姿勢はいつでも変えることができる。

常に顧客やチームメンバー、ぼくに関わってくれるすべての人のことを深く考え続けること。

思考に終わりはありません。

メンターがぼくに伝えたかったことは、今回この記事に書いたことと一致しているのかどうか。

利己的で的外れな考え方をしていないかどうか。

正解もわかりません。

そして、避けたいですが、また過ちも犯すでしょう。

しかしその都度、今回のようにまた反省し、学びを得て、次に繋げていく。

一歩一歩、直実に歩み続けるしか道はないと思います。

頑張ります。